紅の豚の舞台について
引用:http://sharetube.jp/article/4288/
軍人だったが今では空賊退治を請け負う賞金稼ぎとなっている豚のポルコが主人公の話です。
飛行艇や銃などメカニックな描写も素晴らしく、熱狂的なファンも少なくないことでしょう。
今回はこの「紅の豚」の舞台背景について紹介します。
紅の豚はどこの国の話なの?
引用:https://www.tourradar.com/t/97876
世界大恐慌時代のイタリアが舞台です。
イタリア半島とバルカン半島に挟まれたアドリア海と、クロアチアの「アドリア海の真珠」と呼ばれるドゥブロヴニクの街並みが描かれており、軍人退役した主人公ポルコが地中海の小島でのんびりと隠棲生活をしている様子が分かります。
何れにしても温暖な気候で、その美しい海が広がる舞台は、昔も今も変わらず人気の観光スポットです。
イタリアの時代背景に触れる
引用:https://www.google.com/
世界大恐慌時代、イタリアはそもそも世界第一次大戦直後からの財政困難に陥っていたため、世界恐慌の影響はあまりありませんでした。
不況のため男たちは出稼ぎをする事が当たり前、また政策により、独身者への増税、母親への褒賞により、出産率は上昇していました。
映画の中でも、ポルコが飛行艇の修理を頼む昔馴染みの「ピッコロのおやじ」と食事をする場面がありますが、女性と子供ばかりです。
事実に忠実に、当時の生活が描かれています。
ポルコ・ロッソのモデルは・・・?
引用:https://ciatr.jp/topics/58689
ポルコのモデルはいるのでしょうか?
当時のイタリアには、たくさんの空軍から退役した人間はかなりいたと思われますが、その飛行艇乗りの技術が一目置かれているところを見ますと、限られてくるのではないかと思います。
しかしながら、特に功績を挙げたわけでも無い人間の史実が残っているはずもなく、ただただ妄想にふけることとなるのです。
よく噂されているのは、ポルコの名前、「ポルコ・ロッソ」は日本とイタリアが合作したアニメ「名探偵ホームズ」のイタリア側のプロデューサーの名前「マルコ・パゴット」であるということです。
「ポルコ・ロッソ」にはきちんと「赤い豚」という意味があり、単に韻を踏んで決めた名前であるとは思えないところが、宮崎駿監督です。
そして、丸いサングラスに帽子、トレンチコートという出立ちは、「刑事コロンボ」に対抗して制作されたと言われている「刑事コジャック」のテリー・サバラスが演じる「テオ・コジャック警部補」そのものと言われています。
刑事コジャックには様々な登場人物がいますが、その中でも、少し太っていて、いつもコジャックから体型をいじられる「スタブロス巡査部長」とのやりとりが人間的ユーモアを交えていて面白いのですが、このスタブロス、時々和訳では「子豚ちゃん」と呼ばれているのです。
宮崎駿監督は、この刑事コジャックがお気に入りだったという話もあることから、コジャックの服装や声優さん、中身やセリフは使いつつ、見た目はスタブロスにヒントを得て、刑事コジャックの世界観も垣間見える作品が完成したのではないでしょうか。
美しいビーチにポルコ・ロッソが映える
引用:https://pixabay.com/ja/
ザギントス島から船で1時間半、ナバイオビーチは3方向を高い断崖に囲まれており、ボートでなければ辿り着けない、一生に一度は訪れてみたいプライベートビーチなのです。
青い空、そして青い海、白い砂浜に降り立つ真っ赤な飛行艇。
その一点を見つめるだけでも遠い過去と遠い国に想いを馳せる事ができる。
なぜ「紅」なのか。
様々な憶測が飛び交いますが、私が紅と言って思い浮かべるのはX Japanの「紅」という曲です。
全く関係のない事ですが、「紅」の歌詞をよく読んだ事がありますか?
サビの部分だけでも「紅に染まったこの俺を 慰める奴はもういない もう二度と届かないこの思い 閉ざされた愛に向かい 叫び続ける」という歌詞。
他の部分も、英語の部分も、とてもポルコの心情にあっているように思えてくるから不思議です。
「赤」には最後の社会主義者という意味もありますし、「赤い豚」にはとんでもない豚野郎のような、汚い意味もあるとか。
でも、この映画のタイトルは「紅の豚」です。
もしかしたら、ポルコ・ロッソは魂を叫ぶロックの代名詞として、この美しい舞台に一人立つのかもしれません。
まとめ
引用:http://www.abi-j.com/overseas02/
美しい街並み、コバルトブルーまたはミルキーブルーと称される海、寂しく吹く風。
失った仲間たちの思い出を忘れられず、でも今は何も考えず静かに暮らしたい、そんなポルコには、これからの未来、どのような選択肢があるのでしょうか。
幸せな時間は長く続かないけれど、続いて欲しいと願う気持ちは自由です。
永遠の風景の中に、一瞬のきらめきを生きる人間の美しさと寂しさを描いたこの作品は、作り手の思いと見る側の思いによってますます美しいものになると感じました。